告白の違和感を整理する(7/3)
31歳目前になった。
最近は仕事仲間にも恵まれ、イベントを楽しめる友人もたくさんいる。
新天地での生活も板についてきた。
だがこれからの人生で思い出を共有し、笑い合い困難をともにサバイブできるパートナーがいたら…と思ってきた。
というわけでPairs、With、DINEに登録し、2か月で8人と会った。
1回で終わった人、呑み友になった人、何回か会った人、色々いる。
その中でも会って2回目に告白してくれた男性がいて、私は返事を保留にしていた。
「私を好きになってくれた人としか付き合わない」という前提が私にはあるので、2回で私の何がわかったというのか、と思ってしまったのだ。
その方とは結構あちこちに行った。



会うにつれて落ち着いていて根が優しい人であることがわかる。
きっとこういう方と付き合えたら、身を焦がすような熱烈な恋愛より静謐な愛が育めるのだろうとも思う。
とはいえYESと言い切れないわだかまりがあった。
告白の言葉が、「普通にいい人だと思うし付き合わない?」と言われたことだ。
この言葉を聞いて、私のこと好きではないんだなって思った。
“普通に”っていうのが、悪くはない、思ったよりマシ、可もなく不可もなく、みたいなニュアンスが感じられる。
「あなたに大きな欠点はないし、無難だから付き合ってもいいと思った」って妥協した感じに聞こえた。
「普通にいい人」と付き合いたいなら私じゃなくていいじゃんね。
んー…喜んでYesとは言えないなって。
きっと私のことが好きってわけじゃなく、社会制度に組み込まれた結婚の相手として程よい人を探してるんだろう…とその時は思った。
でもまた会いたいと思うのは彼に惹かれている自分を否定できないからだ。
話も面白いし、お言葉に甘えたり違和感を口にできるようになる程度には距離も縮まったように思う。
「普通にいい人」の枠を越えられたらいいなと思って会い続けている。
…と本人に伝えると、不快な思いをさせてごめん、と謝罪のメッセージが来た。
彼にとっては“普通に”は“全然いい”というニュアンスだったらしい。
日本語ってややこしい。
こう向き合ってくれるところはすごくありがたかったし、悪気がなかったことは伝わった。
とはいえ彼が酒を飲まない人でストイックな生活を送る人なので、私のような我儘ボディの酒飲み人間がそばにいてはイライラさせるのでは…など、心配要素がなくなったわけではなかった。
このままつき進んでいいのか?
やはり一歩踏み出すのに勇気がいる。
…ということで7/3~4に熟考した末、占いに行くことにした。
(つづく)
落ち葉は根に帰る
旧知の仲であるフォトジャーナリスト・村山康文氏の個展が最終日だというので、急いで駆けつけた。
ベトナム戦争のその後を、多角的な視点から収めた展示。
もっと深くを覗きたくなるような、それでいて改めて問題を突きつけられているような、肺腑にしみる個展だった。

村山さんとはちょうど10年前・大学時代に知り合ったことになる。
沖縄戦後70年の節目、京都新聞の記者からの取材依頼がきっかけだった。
「沖縄出身で戦争を知らない20の学生が沖縄戦をどう捉えているのか」
取材は新聞に掲載され、私の周囲ではそれなりに反響があったと思う。
記者の方から「取材のお礼といってはなんだが何か私に協力できることはあるか」と問われた私は、咄嗟に「ジャーナリストを紹介してほしい」と伝える。
そうして知り合ったのが、ベトナムを28年追うフォトジャーナリスト・村山さんだった。
村山さんとはその後よく呑むようになり、ベトナムの取材にも同行させてもらった。

村山さんの飲み会には何十回も参加したけれど、必ずといっていいほど”初めまして”の方がいて、出会った経緯も奇天烈なものばかりで混沌極まりない。
大学の受動的な講義とはちがって、これまでつきあったこともない人とこれまで自分ひとりでは思いつきすらしなかったことが始まる、そんなわくわくするカオス状の場が開かれていた。
ところが社会人になりお会いする機会がうんと減っていた。
久々の村山さんの写真と今回の展示内容を見て、村山さんが歩みを止めなかったこと、そしてクラウドファンディングや多くの協力者によって開催に至ったことに改めて胸を熱くした。
今回の立命館大学国際平和ミュージアムの特別展の写真は、どれも村山さんしか撮れない写真だった。
被写体の人物のまっすぐな瞳がこちらに物言えぬ感情を訴えかけてくる。
写真は二次元なのにいずれも立体感があり、その湿度や温度まで伝わってきてじっとり汗をかく。
とある写真のキャプションに、ことわざ「落ち葉は根に帰る」が引用されていた。
このことわざを見たとき、まさに立命館大学の国際平和ミュージアムに足を運んでいる今、私は10年の時を経て根に帰っていると思い至る。
思い起こせば村山さんを起点としたご縁だけじゃない。
ゼミの福間先生をはじめ、大学で惜しみなく時間を割いてくださった先生方。
膨大な知識が蓄積される京都の立命館大学産業社会学部で歴史社会学を学ぶ経験が、私の視野のタイムスケールを拡げてくれた。

大学時代のバイト3つ、サークル2つも然り。
様々な人脈や環境から、自分でコンテクストを作っていく大切さを教わった。
事柄の道筋をロジカルに組み立てる思考、
意見を交換しながら当初だれも思い描いていなかった結論を見出す合意形成の能力、
いざというときに助けてもらえる人をいつでも動員できる人々のネットワーク、
一つの問題に侃侃諤諤議論する場…。
今思うと社会人になったら、お金を払っても手に入れられない経験だったのではないだろうか。
私は本当に運がよかったと思う。

病院で働いていると、内輪の符丁で語る人が多いことに違和感を抱く。
するとどんな世界にいったって、大学でかじった社会学は確かに私の思考回路に脈々と流れていることを実感する。
延いては知らない事がもっとあることにも気付かされるのだった。
今年は戦後80年、もうすぐ慰霊の日。
悲しくも戦争の語り部が減っている今、それでも記録は残って継承されていく。
1つのライトを当てるのではなく、さまざまな側面から逆照射していかなければならないだろう。
誰かにとって都合の良い記録だけが取り沙汰されないように。
戦争で亡くなられた方がどうか安らかに眠れますように。
近代社会で恋愛結婚が一般化してきた理由
「恋愛と結婚は違う」とよく言われる。
ただ一緒にいるだけでうれしいという純粋な喜びとしての恋愛と、親戚一同を巻き込んだ生涯にわたる結婚は違うという意味だろう。
なのに恋愛結婚が一般化している。
この現実の乖離に疑問を抱いていたとき、『恋愛社会学: 多様化する親密な関係に接近する』と本屋で出会った。
※まだ序盤しか読めていないが腑に落ちた内容があったので残しておく。

恋愛と結婚は違うのに恋愛結婚が標準化する現状に困惑するのは、個人的な関係としての恋愛と、社会制度に組み込まれた結婚、この正反対に位置する「恋愛」と「結婚」が直結させられているように見えるからだと。
恋愛結婚を実現するには、感情的な魅かれ合いから始まった楽しい個人的な関係を、長期的な関係へと発展させていく必要がある。
しかも関係性の変化を自分の気持ちに折り合いをつけつつ、相手という他者とともに達成していかなければならない。
我々はなんて難しいことを要求されているんだろう…!
結婚はなんとなく生きていれば起こるライフイベントではないと三十路にはよくわかる。
恋愛結婚をするためには個人が主体的に恋愛にコミットしていく必要があった。
だからこそ、「恋愛をすることで何が得られるのか?」「そもそも恋愛する必要ある?」と疑問を抱いてしまうのだ。
そもそもなんでこんなに特殊な恋愛結婚が近代社会でノーマライズされているんだ。
それは潜在的に、プライベートな部分をさらけ出し認めあうパーソナルな相手が必要なのではないかと。
職場や学校などパブリックの部分で求められる人物像ではない、1対1の時に発現するもの。
個々人がそれぞれに持っている世界認識の妥当性を認め合う作業が求められているのだった。
さらにお見合いから恋愛結婚への移行の中で、経済力とか外見とか合理的な理由ではなく「愛」が結婚の最大の理由となってきた理由も触れていた。
それは本人だけが理解できる愛を根拠とするロジックこそが、配偶者選択における周囲の人々の干渉を排除することに役立ったからだった。
「恋愛をすることで何が得られるのか?」
それは恋愛結婚が個性的個人間に社会的な実質を与えるコミュニケーションであり、恋愛結婚が配偶者選択における個人の自由を最大化できるといえる。
じゃあ、友人と恋人はどう違うのか。
これも以後読み進めて記録に残していきたい。
愛した人はどんな形になっても愛おしい
最近マッチングアプリで出会った男性に尋ねられた。
「マッチョは嫌い?」
「体型は気にならない」と答えた。
今まで付き合った人は体型も性格もバラバラだった、と。
私はなぜ、付き合う相手の体型を気にしないのだろう。
小説「BUTTER」で体型に言及されているシーンを読んで、自分が相手の体型に寛容な理由が少し昇華できた気がした。

本作では女性記者・里佳が独占インタビュー記事の取材を取り付けるために、殺人容疑者で不思議な魅力をもつ梶井の指示通り、習慣的にバター料理を食べるシーンがある。
そして案の定、里佳は5,6kgとだんだん太っていく。
周囲から「お正月休みもろくにないのに、そんなに太れるってどういうことですか?」だの「運動する気ないよね」だの「太ることだけは、本当によくない。努力が足りないって思われて、信頼を失う」だの散々の言われよう…。
しかし梶井の言葉や里佳の心境の移り変わりで、次第に自分の身体に魅力を持つようになる。
(太ったといっても里佳の身長は166cmでその時の体重は56kg、全然じゃんね)
そして周囲の人の否定意見も跳ね返し、自分の身体に誇りを持ち前向きに生きる里佳を見て、増量を非難していた周囲の人も彼女に惹かれていく…。
私はBMIが22.3で、人のことを言及できるほど締まった身体じゃないと思っている。
ややぽちゃ~ぽちゃ域だと思っているから、人の体型をどうこう言える立場じゃないだろうと。
甲状腺を摘出してからは太りやすくなって、サイクリングや食事管理をしているけど、体重の現状維持で精一杯。
逆に太りたいのに太れない友人もいる。
だから体型が卑しいと周囲の意見でがんじがらめになっているなら、解き放つことも大事かもしれないと感じた。
自分の体型による生きにくさを最小限にできる程度に。
自分の身体を愛することって素敵だもの。
私が異性の体型を気にしないのは、その人の心が健康であってほしいと願っているからだ。
病院で働いていると人には個体差があることも、年とともに確実に変容していくことも目の当たりにする。
健康でムキムキでも、体質や薬で痩せたり太ったりしてても、病気でガリガリになっても、浮腫んでパンパンでも…。
どんな体型であろうと、その人の心や魂はそこにあるわけで。
時間とともにその形になっただけで、変わらず目の前にいるのは好きな人だから体型を気にしない。
例えば母は、昔に比べてしわも増えて身体も小さくなった。
けど無性の愛を注いでくれた、変わらず今そこにいる大切な人だ。
私が愛した人なら、どんな形になってもきっと愛おしい。
心身ともに健康でいてほしい。
健康じゃない状態でも、刹那的でも幸せでいてほしい。
それが私の幸せでもある。
「体型を気にしない」と矛盾するが、一時の欲求を満たすことを継続して、極端に太るのは暴力的だとは思う。
自分をいたわらないだけじゃなく、大切な人に心配をかけたり迷惑かけたりする、という意味でも。
満ち足りない生活をすることで満ち足りる生活はいつか皺寄せが来る。
だから気持ちが凪いだら、身体にやさしいものを食べて未来の自分の幸せを築いてほしい、と大切な人に思わずにはいられない。
社会人から医療専門学校卒業までの道のり
3月に京都保健衛生専門学校第一臨床検査学科を卒業した。
4月から臨床検査技師(コメディカル)として京都の病院で働いている。


臨床検査技師になろうと思ったきっかけは、父と私の経験が大きかった。
私の父は糖尿病を放置したため失明し、身体の自由もきかない状態で他界。
一方私はバセドウ病だったが、検査をして初めて持病の存在を知り、適切な治療を受けて現在元気に過ごしている。
この経緯から、検査をしなければ病気は発見できず、適切な治療も受けられないことを痛感した。
私も検査を通じて患者さんの治療の一助になりたいと思い臨床検査技師を志し、3年前この学校の門戸を叩いた。
学校に入学するまで私は正社員のWebライターとして順調に働いていて、それなりに実績も積んで色々任せてもらっていたので、安定した生活を捨て違う道に舵を切ることにためらいがなかったわけではない。仕事も楽しかったし。
でも「今ならまだ間に合うんじゃないか?したかった事をしないで後悔しない?」と思うとやはり医療の道に進む決心がついた。
ありがたいことに、会社以外で周りに反対する人は誰一人いなくて、家族や友人をはじめたくさんの方々に助けていただいた。
業務委託という形でライターの仕事を続け、ついでに通訳、料亭、塾のアルバイトもして、学業との両立は結構大変だった。
医療学生ならではの大量のレポートや課題、膨大な暗記が必要なテストをこなすのに四苦八苦して、臨地実習はとくに寝不足で息切れした。
それでも私は中学くらいから医療分野に興味があったので、学ぶ楽しさが勝つ。
なにより学校の先生方はじめ沢山の方に応援していただいたから、ここで止まれないと奮い立てたと思う。
国家試験前は国立大学の入試くらいがむしゃらに勉強した。
もう二度としたくないと大学時代に思ったはずだったんだけどな…。


50期生は皆素直でいい子ばかりで、学生生活は本当に楽しかった。
大半の子は年が離れているから気を使わせてしまうなと申し訳なく思っていたけど、飲みに誘ってくれたり一緒に勉強してくれたり年齢関係なく接してくれて、良い仲間に恵まれたと痛感している。

遠回りしたけどしたいことして生きてきたから、後悔は全くない。
それは周囲の協力あってのことなので、これからも感謝の念を忘れずに進んでいこう。
とはいえこれからがスタートなので、新生活をこれからも楽しんで生きたい。
どのような状況下でも患者さんの最善の治療に寄り添える臨床検査技師になれるよう、精一杯努めていきたい。
3年間、お世話になりました皆様方に、心よりお礼を申し上げます。
帰ってきた女一匹
ブログを放置していたが、再開する。
この1年めまぐるしく生活が変わり、ようやく新生活に慣れてきた。

再開を機にブログ名を変える。
前回のブログまでは29歳だったので、「三十路目前の女一匹」というタイトルだった。
ブログを放置している間に私も立派な三十路になって、初回のブログで名言していた通りブログ名を変更せざるを得なくなったからだ。
ブログ名に年齢を修飾するほどこだわりもなく、自虐的に感じられるのは違う気がした。
かといって「女一匹」だけだと差異化できない。
最大公約数的に「○○のブログ」でも良いが、なぜか自分にはしっくりこない。
ということで、もう一つのブログも「ひきこもごも 書簡録」と名乗っていることを理由にこちらも「女一匹ひきこもごも」にした。
nekokawaiitamaran.hatenablog.com
さて、一年の振り返りや近況報告をこれからぼちぼち載せていく。
改めて三十路女の葛藤をご笑覧ください。
鴨川でとんびにパン取られた
今日、帰路に鴨川を歩きながらエッグタルトを食べていたらとんびに取られた。

急にばさっと羽が頬に当たって「ウワッ」って言ってるうちに手中のタルトがなくなっていた。
袋ごと取られていた。
悔しい。
美味しいエッグタルトだったのに…。
2口は食べられたし、奪われたものは仕方がない。
袋は食べんなよーと心の中で言いつつ、足を止めずに出町柳駅に向かった。
側から見たら、「え、あの人とんびにパン取られたのにめっちゃ冷静」と思われただろう。
取られても歩行を緩めずスタスタ歩いたのだから。
というのも私、過去にも1回とんびにパンを奪われているので慣れっこなのだ。
初めてとんびにパンを取られたのは大学生のとき。
給料日前のなけなしの金で買ったサンドイッチを食べているときに取られたのだった。
あれも鴨川沿いでぼーっと川を見ているときだったな。
その時のとんびは取り方が下手で、サンドイッチを取られた時に翼だけじゃなく鋭い爪が私の手に当たって手から出血した。
まるで強盗傷害に遭ったが如く「そんな、理不尽だ」と思った記憶がある。
とんびの寿命は20〜30年という。
大学生の時のとんびが私のエッグタルトを奪ったのだとしたら、かなり上達したと思う。
アイツでなくとも、今回のはかなりの手練だ。
今回は翼が頬を掠めただけで、手からいつのまにかエッグタルトがなくなっていたから。
そんなことより、とんびってあんな甘いもの食べて大丈夫なんかな。
ま、大丈夫か。
奴は逞しそうだったし。