愛した人はどんな形になっても愛おしい
最近マッチングアプリで出会った男性に尋ねられた。
「マッチョは嫌い?」
「体型は気にならない」と答えた。
今まで付き合った人は体型も性格もバラバラだった、と。
私はなぜ、付き合う相手の体型を気にしないのだろう。
小説「BUTTER」で体型に言及されているシーンを読んで、自分が相手の体型に寛容な理由が少し昇華できた気がした。

本作では女性記者・里佳が独占インタビュー記事の取材を取り付けるために、殺人容疑者で不思議な魅力をもつ梶井の指示通り、習慣的にバター料理を食べるシーンがある。
そして案の定、里佳は5,6kgとだんだん太っていく。
周囲から「お正月休みもろくにないのに、そんなに太れるってどういうことですか?」だの「運動する気ないよね」だの「太ることだけは、本当によくない。努力が足りないって思われて、信頼を失う」だの散々の言われよう…。
しかし梶井の言葉や里佳の心境の移り変わりで、次第に自分の身体に魅力を持つようになる。
(太ったといっても里佳の身長は166cmでその時の体重は56kg、全然じゃんね)
そして周囲の人の否定意見も跳ね返し、自分の身体に誇りを持ち前向きに生きる里佳を見て、増量を非難していた周囲の人も彼女に惹かれていく…。
私はBMIが22.3で、人のことを言及できるほど締まった身体じゃないと思っている。
ややぽちゃ~ぽちゃ域だと思っているから、人の体型をどうこう言える立場じゃないだろうと。
甲状腺を摘出してからは太りやすくなって、サイクリングや食事管理をしているけど、体重の現状維持で精一杯。
逆に太りたいのに太れない友人もいる。
だから体型が卑しいと周囲の意見でがんじがらめになっているなら、解き放つことも大事かもしれないと感じた。
自分の体型による生きにくさを最小限にできる程度に。
自分の身体を愛することって素敵だもの。
私が異性の体型を気にしないのは、その人の心が健康であってほしいと願っているからだ。
病院で働いていると人には個体差があることも、年とともに確実に変容していくことも目の当たりにする。
健康でムキムキでも、体質や薬で痩せたり太ったりしてても、病気でガリガリになっても、浮腫んでパンパンでも…。
どんな体型であろうと、その人の心や魂はそこにあるわけで。
時間とともにその形になっただけで、変わらず目の前にいるのは好きな人だから体型を気にしない。
例えば母は、昔に比べてしわも増えて身体も小さくなった。
けど無性の愛を注いでくれた、変わらず今そこにいる大切な人だ。
私が愛した人なら、どんな形になってもきっと愛おしい。
心身ともに健康でいてほしい。
健康じゃない状態でも、刹那的でも幸せでいてほしい。
それが私の幸せでもある。
「体型を気にしない」と矛盾するが、一時の欲求を満たすことを継続して、極端に太るのは暴力的だとは思う。
自分をいたわらないだけじゃなく、大切な人に心配をかけたり迷惑かけたりする、という意味でも。
満ち足りない生活をすることで満ち足りる生活はいつか皺寄せが来る。
だから気持ちが凪いだら、身体にやさしいものを食べて未来の自分の幸せを築いてほしい、と大切な人に思わずにはいられない。